China
因为我的老婆是中国人:何故なら私の妻は中国人
2021年10月21日
私の妻は中国人。中国の文化や歴史を知らなければ夫婦関係は確実に破綻へ向かう。妻を理解するためには中国の現代史を学ぶに他ならない。中国人は中国人であるからして中国人的振る舞いをする。此処は日本人に似てるようで似ていない中国人のルーツを探る禁断のカテゴリー。グローバル感覚とは他国の歴史や文化を理解すること。これが私の信念であり礎。と、言うことで、私のバイブル「池上彰さんの現代史講義」から「天安門事件」をギュッと凝縮して解説。賢者たちよ歴史に学べ!
Fact:簡単に言うと・・・
天安門事件とは、民主化を求めて天安門広場に集まった学生たちを中国政府が武力で押し潰した事件。
CONTENTS
- 建国の父、毛沢東が死んで中国は生まれ変わる。
- 勉強して視野を広げた大学生たちは気付いた。
建国の父、毛沢東が死んで中国は生まれ変わる。
みんなが平等に貧乏だった毛沢東時代が終わり、経済を立て直さないとヤバいと考える鄧小平時代となり中国は徐々に豊かになる。
中華人民共和国建国の父
毛沢東
共産主義思想が全てだ!反思想は撲滅だ!
結果として:みんなを平等に貧乏にした
「毛沢東」の時代から「鄧小平」の時代へ
中国を経済大国へ導いた
鄧小平
いやいや思想だけでは金稼げませんよ。
結果として:みんなの暮らしを豊かにした
ニーハオ、私、新しいボスの「鄧小平」です。毛沢東さんの古い考えはおしまいです。金儲けてナンボだから自由経済やりますから。沢山勉強しないと世界に勝てませんから学生さんは勉強しないとダメですから。
中国が豊かになるにつれて進学率が高まり、若者は大学へ通い知識を身につけ視野を広げる。
勉強して視野を広げた大学生たちは気付いた。
「大学に行って色々勉強してわかったんだけど、中国って民主的じゃないよね?」
知識を深めた学生たちは、世界と中国を見比べ、中国の体制に疑問を感じはじめるのである。当初は「学食不味いから学食を改革しよう!」とか軽い感じだったが、次第に「大学の改革だ!」とか「中国の政治体制を改革しよう!」など大きな話になってくる。
1986年 全国の大学で民主化運動が始まる。
1986年、全国の大学で民主化運動が始まる。この学生運動を当時の中国のボスだったは胡耀邦は理解を示す。
胡耀邦
ニーハオ、中国のボス「胡耀邦」です。学生諸君、イイじゃないですか民主化。でも大ボスの「鄧小平」さんがウンと言うかな・・・
しかし、この行動に大ボス「鄧小平」激怒。胡耀邦をクビにする。※鄧小平は表に出ない陰で操る大ボスである。
はぁ?民主化?何言ってんの?胡耀邦くん、君クビね。
鄧小平
中国政府が公表した胡耀邦クビの理由は、「胡耀邦は若すぎてボスにふさわしくないからクビにします!」この時、胡耀邦72歳。そして・・・
1989年4月15日 胡耀邦死去
胡耀邦は失脚してから死ぬまで政府に軟禁されていた。
胡耀邦を追悼するよ!ゴルバチョフも来るし学生たちは天安門広場に集まれ〜
中国
鄧小平
ゴルバチョフさん、北京へお越しくだい。
中ソ和解
ソ連
ゴルバチョフ
トーショーヘイさん、仲直りしましょう。
1989年5月15日に中ソ和解のためソ連のボス、ゴルバチョフが中国を訪問。それを取材するために世界の多くのメディアが北京に集まっていた。
中ソ和解の取材のために世界のメディアが北京に集まっている。
チャンス!
みんな天安門広場に集まって民主化に理解を示してくれた胡耀邦を追悼しよう!そして世界に向けて中国の民主化を訴えよう!
「チャンスじゃん!ここで民主化運動を派手にぶち上げれば世界の共感を呼び、中国の民主化が実現ができる!」と学生たちは考えたのである。1989年5月17日には100万人の学生が天安門広場に集結。中国全土で1,000万人の学生が民主化集会をした。
胡耀邦の後釜、趙紫陽もクビ。
趙紫陽
学生たちのキモチ理解できますよ。この勢いで民主化しちゃいましょう!
胡耀邦の後釜になった趙紫陽もまた学生たちの訴えに共感する。これを機に中国を民主化させようとする。これに対しあの人は・・・
趙紫陽くん君もかね!完全に私キレちゃいました!君もクビね。学生たちも潰しますからね。
鄧小平
趙紫陽
鄧さんキレてるから学生たちの集会やめさせないと、こりゃヤバいな。
1989年5月15日早朝(池上さんは6月のある日と言っているが調べた結果この日)、趙紫陽は天安門広場に集まる学生たちの前に現れ、泣きながら「もう集会をやめて帰ってくれ!」と呼びかける。でも、学生たちは引き続き集会を続ける。拡声器を持って学生たちに呼びかけている人物が趙紫陽、そして趙紫陽の向かって右側の人物が当時の趙紫陽の秘書、後の首相「温家宝」。
趙紫陽クビでも集会を止めない学生たちに大ボス「鄧小平」ガチギレ!そして天安門事件勃発。
1989年6月4日 早朝、天安門事件勃発。戦車や装甲車が天安門広場に突入、武力で民主化運動押し潰す。
軍の突入で多くの学生が死んだと思われたが、実は軍と学生のリーダーの話し合いで逃げ口を確保。天安門広場では死者がゼロだったとのこと。しかし、天安門広場以外の場所では多くの学生が死んだ。正解な数字はわからない。なぜなら「軍によって殺された」と届けると反政府活動をする子供の親となり、えらい事になるので届出ない親が多数で、ホントの数字がわからない。
戦車を止めた男
1989年6月5日、天安門広場前の長安街を走行する人民解放軍の戦車の前に一人の男性が立ち塞がる。この後、この男性は消息不明。
「天安門事件」についてウチの妻に聞いてみた件
中国人である私の妻は「天安門事件」という事件の「事件名」は知っているが、詳しい内容は知らない。リアルタイムに天安門事件を見ていた彼女の両親も詳しくは知らない。そして詳しく知ろうともしない。なぜなら中国本土では無かった事になってる事件だからだ。中国国内のネットで検索してもブロックされる。私が詳しく説明しようとすると妻は拒む。毎年6月4日に日本で放映される「天安門事件○○周年」的テレビニュースからも妻は目を背ける。おそらく向き合うのが怖いのだと思う。その行動は、なんとなく理解できる。
日本軍が東アジア地域を侵略し、現地の人々を残酷に殺した歴史に向き合えない日本人に似ている気がする。日本国内においても、広島と長崎に落とされた「原爆」についてのテレビやネットのプログラムは頻繁に目にするが、日本軍が中国大陸やフィリピンなどで、多くの現地人を殺戮したプログラムを目にすることは圧倒的少ない。自国に都合の悪いことを避ける傾向はどの国でもある。日本の負の歴史も「探しにいかないと知れない情報」である。言論の自由が無い中華人民共和国においては、知ろうとしても知ることのできない歴史がある。そして、知ることによる「精神崩壊」の場合もある。
愛党教育(如何に中国共産党が素晴らしいかを教える政策)を強烈に推し進めた「江沢民」政権世代の私の妻は、中華人民共和国の負の歴史に触れたがらない。それは仕方ないこと。中国共産党は素晴らしいと教わったのに「それは違うよ」と言われれば誰だって嫌だ。誰だって己の核となる考えを否定されるは嫌なものだ。なんとなく朧げに解ってるいるが、鮮明にしたくない人間の心理は理解できる。鮮明になると深く傷付く。
だから、妻に対しても「知らないほうが幸せかもしれない情報」は教えないと決めた。彼女が本当に知りたいときに教えれば良いと思う。しかし、中国人である私の妻の「考え」を理解するためには、その基となる中華人民共和国の歴史を知ることが必要不可欠だと私は考え現代史に向き合うのである。